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月に盃花に酒（クリックで開閉）

『話部屋』の田鰻さんからまたまた頂いてしまいました!!!!!!ヒャフーー!!!
幽神のっちょっといいとこ見てみたいっ　という感じのお話です（わかりづらい）
ほんと一瞬どころか一刹那で終わってしまうほろ酔いターン勿体ないですね…！
珍しい組み合わせですが、実は「頼りないけど案外頼れる大人」と「頼りたくないし構われたくないけど自力で立ち直るのがなかなか難しい子供」としては案外良い組み合わせなのかもな、と思いました。
ちなみにタイトルはなんとなくのイメージで勝手に付けてみました。花札です。
田鰻さんほんとうにありがとうございました!!!!!!

たとえ、ひとつの決まり切った物事であれ、物そのものであれ、それに対し抱く感覚は千差万別である。
個々の嗜好が強く影響するのだから、当然の話だ。妖怪であれ、人であれ、神であれ、その点だけは変わりがない。
周囲一帯に、とある匂いが漂っている。その場に居合わせた二者のうち、片方はそれを至上なる芳香と捉え、
もう片方は、吐き気と頭痛を誘発する悪臭と捉えるだろう。
つまりは、そういう事であった。
幽神が瓢箪を傾けると、とろりとした液体が流れ出て盃を満たす。やがて、ピタリと縁まで来て止まった雫は、
一滴も漏れ落ちる事はない。大雑把な動作だというのに、そこだけはやたらと正確だ。
手頃な幅の、木の幹に凭れ掛かって座り、片膝を立てて盃を構えた姿は、持ち前の美貌もあって実に様になっているが、
生憎とやや離れた向かいに腰を下ろす弓神の関心は、相手の容姿などではなく、瓢箪が傾けられる度に、
ぐんと強さを増して襲ってくる酒の匂いにのみ向けられていた。
無論、良い意味ではない。
弓神は盛大に顔を顰め、鼻を鳴らす。
幽神の、小振りの耳がぴくりと動き、その音を聞き付けた。が、何を勘違いしたのか、飲むぅ？と、
舌っ足らずな口調で、あろうことか元凶たるその盃を差し出してくる。
弓神は、うんざりと手を振った。拒絶の意思を解するだけの理性が相手に残っている事を祈りつつ、今朝方の己の判断を呪う。
たまたま気が向いて森の見回りに来てみて、とっ捕まったのが運の尽き。
暇そうにしていて三兄弟に絡まれるよりはと出てみたのだが、今となってはそちらの方が幾許かマシであった。
この酔っぱらいが、と弓神は内心毒づく。口には出さない。肝心の、罵詈雑言をぶつけるべき対象がこれでは意味が無いからだ。
酒を、飲んだ経験がない訳じゃない。といっても舐めた程度だが、うまいとは思えなかった。餅にも合わないし。
前に誰かが酒饅頭を作った時は例外で、慈母も喜んでいた。まあ慈母は、食べ物に関しては好きか大好きかのどちらか限定だが。
そういえば、一応はこれも食べ物に含まれる酒は、慈母はどうなのだろうか…。

「慈母はぁ、いける口なんだけどね～」

思った途端に、幽神が間延びした声で言った。
こちらの頭の中を覗かれたようで、弓神はまたも顔を顰めた。おそらく、単純な造形で言えば誰よりも美しい、その菫色の瞳。
酒のせいで全体に薄く膜のかかったような半目で見据えられると、本当にそんな力があるかのように錯覚する。
尤も、現実にはそんな事はない。積極的に酒席の話題を提供している弓神でもなく、幽神は幽神で喋るより飲むばかりとあれば、
出てくる話も限られてくる。話題が慈母へと及ぶのは、ある種、自然な成り行きであっただろう。
弓神自身もまた、馬鹿な事を考えたものだと思っていた。
いけるも何もない。底無しの腹には溜まるという概念がなく、幾ら飲ませたとて抜けた底から出ていくだけである。
ぶすくれた態度を頑なに崩さない弓神を肴にでもするかのように、幽神がまた一度、盃を干した。
朱色の漆器に、つんと尖らせた唇が触れるや、ぐいと喉が反り返る。顎から喉にかけての線と、普段は布地で隠れて見えない肌が僅かに覗いた。
一息、二息。酒を飲み下すのに併せて、浅い弓なりになった喉が規則的に上下する。淡く上気した胸元、
その上にかかる、緩やかな曲線を描いた銀の髪の束。相変わらず雑そのものの動作だというのに、
どうして手酌をしているだけでこうも美しく、ともすると扇情的な匂いさえ漂わせているのか。さすがは風神をして美貌の無駄遣いと嘆かせるだけの事はある。
が、弓神にとっては、やはりだからどうだという事もない。とっととこの時間が過ぎ去ってくれという思いが強くなるだけだ。
ぷは、と盃から唇を離す音。

「んん～…そうねえ、慈母もお招きすれば良かったかしら～」
「やめろよ、呼ぶなら今すぐ僕は帰るからな」
「も～、照れちゃってぇ、うふふふふ～」

ヘラヘラと、心からの幸福を体現して幽神は笑う。珍しい酔い方をしているといえばいえるし、いつも通りだといえば、そうもいえる。
幽神が、落ち着いて静かに飲んでいるという光景に、弓神は出くわした事がないし聞いた事もない。
幽神にとって、酔う事は即ち悪酔いに直結している。とはいえ滅多に陥らない素面の状態が状態であるから、
両者を足せば丁度釣り合いが取れている、という事なのかもしれない。悲観から楽観へと向かい始める境目、最もまともだと称される酔い初めが、
永遠に続いてくれるのが誰にとっても望むべき事ではあろうが、得てして都合のいい展開は長続きしてくれないものだ。
とにかく、弓神は慈母を呼んで欲しくなかった。
うっかり酔って見境なく暴れ出す慈母を見るのも面白くないし、こんな益体もない会話にふけっている自分を見られるのも面白い事ではない。
性分から、日頃何かと突っ掛かってばかりいるとはいえ、そこはやはり分神たる身。敬愛する君が無様を晒すのも、敬愛する君に無様を晒すのも御免被る。
――それに今は、もうひとつ別の、顔を合わせたくない理由もある。
だがしかし、彼の思いに反して、一旦思い付いた幽神は呼びたそうであった。
そうだろう、酔っぱらいは常にひとの願いの裏を行く。放っておいたら瓢箪を法螺貝替わりにして吹き始めそうである。
そして騒ぎが本格化し始めれば、おそらく慈母はやって来る。日がな一日暇そうにしていて、楽しみの予兆を見逃す理由がない。
弓神は、今ひとつ迫力に欠ける少年の目で、忌々しげに幽神を睨んだ。
おや、という目を返される。そんな表情も無闇に整っているが、その利点が役に立つ機会は、幽神が幽神である限り未来永劫訪れないだろうと思う。

「相手ならしてやってるだろ、これ以上騒ぎを広めるなよ」
「あらあら」

何があらあらなのか。
いっそ瓢箪と盃と幽神と、三者まとめて自前の杵で叩き割って目を覚まさせてやりたいが、これまた無駄に武闘派な幽神には通じまい。
当人にはあっさり避けられるか防がれるかで終わり、瓢箪と盃となれば自分自身の事以上に幽神は真剣に守る。
溜息をついて一瞬伏せた目を上げれば、そこに盃があった。
思わず幽神の手元へ視線をやったが、そちらはそちらでちゃんと別の盃を持っている。
どうやって出したのか、どこから出したのか。たぶん懐に忍ばせるかしていたのだろうが、幽神が新たにこの場で創り出したのだとしても、
弓神は驚かない。幽神と酒は切っても切れない仲で、いっそ酒限定ならば画龍や水郷も使えるんじゃないかと疑いたくなる時がある。
幽神は嬉しそうに口元を緩ませている。相手をしてやる、をまた都合良く解釈したのか、待っても盃を引っ込める気配はない。
拒否しても良かった。が、少し可笑しそうに微笑むその顔が、いかにも年上から年下の子供へと向けられるようなそれが何となく癪に感じられて、
その勢いが却って乱暴に、弓神に盃をあおらせた。
瞬間、鼻に突き抜ける香気。
いや、真面目に、鼻の奥をぶん殴られたのかと。

「ぶはっ！！」

堪らず弓神は残りを吐き出し、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。
あぁ勿体ない、という幽神の声が、どこか遠くから聞こえるかのようだった。

「おっ、前…いっ…つも、こんな強いの飲んでるのか！？」
「いーいお酒でしょ～？」

呑気に幽神が応じる。答えになっているようで微妙になっていない。
弓神はじんじんする鼻を摘みながら、零れようとしてくる涙を辛うじて堪えた。
文句を言おうにも、ひとまずこの衝撃と痛みが過ぎ去ってくれない事には、何も喋れそうにない。
反射的に地面に投げ出してしまった盃は、ちゃっかりと幽神の手元に帰還していた。底に浅く溜まった残りを、大切そうに飲む。
あれがどういったものであるかを知った今、弓神はそれこそ化け物でも見るかのような目で幽神を見た。元から赤い目が更に充血している。

「酔っ払うのも、いいものよぉ～。
特にぃ、忘れたい事や、気にしてる事が、どぉしても頭から抜けてってくれない時はぁ…」

そんな弓神を、幽神はちらりと思わせ振りに見やった。
弓神はぎょっとする。今度こそ、正真正銘、こちらの内面を見透かされたようであったのだ。

「んふふ、聞いたわよぉ～。また慈母にツンツンしちゃったんだって？
今回はちょっと度が過ぎたとか～？　もお、素直じゃないんだからさ～」
「…いつもの事だろ、そんなの。
別に、僕がどんな乱暴な態度取ったって、それを気にするような慈母じゃないよ」
「そうね～、慈母は気にしてないだろうけど、言った本人はいつまでも気にしてるって事はあるのよねえ。
たま～にね、普段ならそんな事にならないのに、たま～に、ど～してか、そんな心境になっちゃう事があるのよね～。
うんうん、仕方ないわぁ、私達だって生きてるんだもの。心ってのは、決まった動きばかりする訳じゃないから…」
「お前…」

続く言葉が出てこない。
本当に、見透かされていた。そしてなんでこう、急にまともな事を言う。
ひょっとして、とうに泥酔したと思っていたが、実は”誰もが望む最もまともな状態”だったのか、今の今まで、ずっと。
弓神に焦りが浮かぶ。対してますます愉快そうに、幽神は余裕ある笑みを深くしていく。

「だから、ねえ…そういう…。
初めからぁ、とっくに全部解決してるのに、どぉしても消えないもやもやがある時は～お酒もいいって事よぉ、うん～。
それで誘ったの。ね、お酒いいでしょ～？　お酒最高！　酒は百薬の長…立てば百薬、座れば牡丹……あれれ？」

やばい、いきなり酔いが過ぎ始めてる。
思わず制止しようと、弓神は盃に手を伸ばしかけて、やめた。万一掴まれでもしたら腕力では勝てないし、二度と抜け出せまい。
あとは羽交い締めにされて、成す術なく先程の猛毒を喉に流し込まれて、兎の粕漬けならぬ酒漬けの一丁上がりだ。
幽神は不思議そうに首を捻ってから、すぐ元に戻した。まあいいか、という結論を、その全身が語っている。

「ん～と～…お酒があれば世の中どうにでもなるの、っていう話だったよね～？」
「どこをどう聞いてたらそういう話になるんだよ！」
「え～？　だってぇ、真実じゃない。こぉのユミユミったら～」
「ユミユミはやめろ…」
「あはははは～」

駄目だ、既に聞こえちゃいない。
どうやら望ましい状態は、認識した途端に風のような速さで通り過ぎていってしまったらしい。
惜しい、とまでは思わない。先程のあれが最も正常なのだとしたら、そんなのがずっと続くだなんて真っ平だ。
こちらの子供じみた行為や内面を「お見通し」され続けたら気が持たない。まだ酔っぱらいの方が助かる。
何が楽しいのか、ひとりで小刻みに肩を揺らしてはうふうふ笑っている幽神を、弓神はげんなりしきった目と顔で眺める。
あの話題が長続きしなかった事にほっとしている気持ちが、その中に混ざっている事は否めない。
どうも、親切にありがとう。ついでに今ならまともに聞こえちゃいないだろうと、そんな言葉をぼそっと口にしてみたりした。

酒臭い。
飲み手はいなくなったのに、酒の匂いだけは一向に消えてくれない。
何故なら、髪の一筋から爪の先にまで酒を染み込ませた幽神が、そこに気持ち良さそうに転がっているからだ。
くかぁ、と間の抜けた鼾があがると、半開きの唇から酒の匂いがぷんと立つ。
ああ、酒臭い。
杵を肩に担いで、その傍らに腰を下ろした弓神は、こうなってから何度目かになるぼやきを漏らした。

「――あれ」

珍しい光景だねえ、と、たまたま通りすがった咲ノ花神が、ふたりを見付けて声をかけてきた。
どんなに泥酔しようと常に動き続ける幽神が酔い潰れている事も珍しければ、その脇に控えるように弓神がいるのは尚更珍しい。
咲ノ花神は、掌を上に向けて空を見た。今にも何か降ってくるんじゃないかと言わんばかりに。それも失礼な話である。

「ほっといて帰りそうなものなのに」

事実、そうしても何の心配もないのだ。
滅多に潰れまではしないとはいえ、幽神が酒を飲むのも呑まれるのも日常茶飯事で、
それに対して筆神各自が取る行動も大概は決まり切っている。ここで介抱まがいの待機をするのは、弓神の通常には当て嵌まらない。

「…たまには、どうしてか、そんな心境になる事だってあるさ」

首を傾げる咲ノ花神に、弓神は空っぽの盃をくるくると指先で回しながら、フンと無愛想にそっぽを向いた。