蘇神は視界の果てまで覆い尽くされた緑を見て、微かに頷いた。
彫像のような肩を流れる銀糸の髪は目がくらむほどに美しいが、見るものは誰もいない。この場合、本人を含む。
いつも通りと言ってよいものか、断神が妖怪を退治したついでに巻き込んだ周囲を画龍で修復したのである。
蘇神は足元でぐっすりと眠る小動物を射殺せそうな目線で見睨みつけた。
あどけない顔で眠りこける断神は起きる気配もなく、
「……もち……」
と寝言を言った。
断神はごろんと寝返りを打つと、また深々と眠り込んだ。
蘇神の眉間に深いしわが刻まれる。そのしわすらも美しい、以下略。
思い切り蹴飛ばして、もちなど知らぬと怒鳴り散らしてやろうかとも悩んだが、結局蘇神は口を引き結んで黙り込んだ。
置いていくつもりできびすを返したそのとき、蘇神は天を振り仰いだ。
天から雨粒がぽつりぽつりと落ちてくる。しかし、蘇神の上に降る雨は、水滴すら恐れおののくように控えめである。美形は天候をも左右するのであろうか。
「雨か……」
断神は頓着せずに眠り続けている。
粒の大きな雨はあっと言う間に夕立になるだろう。鈍いわけではないくせに、断神が雨粒に打たれてすやすやと平和な顔で眠っているのは、単に平気だからだ。
暴風雨の中、雪嵐の中、どこでだって断神は眠りたいときに眠る。
ではあるが。
蘇神は嫌々ながら杖の先に断神を引っ掛けると、雨宿り先を求めて歩きだした。
濡れるがままに、猫の子よろしくぶら下げられても、断神が起きる気配はない。
転がっていた断神の大剣もついでに拾ってやる。肩にずしりとかかる重みに蘇神は黙って耐えた。断神一人なら何ほどもないが、しかし剣だけ置いていくわけにもいかない。
雨宿りさせてやったところで、断神から感謝などされるわけもないのも分かりきっている。
蘇神は思わず呟いた。
「何故だ……」
寝ている断神は答えない。そもそも断神に向かっての問いではない。
美形には控えめとはいえ、雨足は段々激しくなる。重い剣を引きずって走るわけにも行かず、子供のような外見の断神を杖の先にぶら下げ、それでも堂々と胸を張った蘇神には、神々しいまでの威厳があった。
本人を含め、見るものは誰もいないことを付記しておく。