※このお話はレギュラー版お茶話と対になっています。違いをお楽しみください。

 
 がらり、がんっ、と音がした。

 がらり、は扉が開いた音、次のがん、は扉が戸枠に勢いよくぶつかった音である。
「わあ、晴れているのです」
 断神は両手で戸口を開け放った恰好のまま、空を見上げて真ん丸な目をきらきらと輝かせた。
 数日来雨が続いて、いい加減家の中の用事も尽きてきたところだった断神は、うずうずと晴れを待ち続けていたのだ。
 晴れればやることはたくさんある。
 種や豆も陽の下に早く広げて乾かしたいし、寝具だって干したい。
 戸を開け放って空気を通し、掃除もして水も汲んで――、と小さな頭でめまぐるしく考えるが、断神には晴れたら最初にやろうと決めていたことがあった。
 あどけない顔に満面の笑みを浮かべた断神は、両拳を握り締めると、扉を開けたまま踵を返す。
 顎の下で切り揃えられた髪の毛がふわりと踊った。

*****

 がたごとどぐわしゃ、とけたたましい音を立てて、体の大きさと重さが何倍もある木製の大きな机を外に引きずり出し、「ふー」と額に滲んだ汗を拭いた。
 そのまま休まずちょこちょこと家に走り戻ると、今度は椅子を引っ張り出してきて、机の周りに並べていく。
 あとは大きな鉄瓶に湯を沸かし、家の中から道具を出してくれば、出来上がりだ。
 こぽこぽ、とお湯が沸く音がするのを待って、断神は鉄瓶を外の台の上に置いた。
「できたのです。みなさんをご招待するのです!」

 そう、断神はお茶会を開こうと決めていたのだ。

*****

「まあまあ、さっきから何をしているかと思えば……」
 断神が振り返ると、ゆったりした雰囲気の背の高い女性が家から出てくるところだった。
 銀を漉いたような髪を胸元に集めて結った、不思議な髪型が良く似合う、おっとりと首を傾げる様が年を経たようにも、また笑んだ口元が若々しくも見える年齢不詳の女性である。
 断神が花が零れるように笑った。花は花でも大輪のそれではなく、黄色や白の小さな可愛らしい花だが。
「蘇神、よびに行こうかとおもっていたところでした」
「あら、まあまあまあどうしたの?」
 蘇神が声を上げて、自分のくちびるに繊細な指先を当てた。
「食事用の机まで外に出して、何をするの?」
 机の周りには椅子がたくさん出されているが、しかしここには断神と蘇神の二人しかいない。
「予備の椅子まで納戸から出してきて……」
 断神が元気よく答えた。
「お茶会です!」
「お茶?」
 断神はてきぱきと手を動かしつつ、頷いた。
「雨で最近みなさんにお会いしていませんでしたから、ご招待するのです」
「まあ、なるほど……」
 合点がいったとばかりに蘇神は頷いた。
「でも、言ってくれたら机や椅子くらいわたしが作りましたものを。まあまあ……」
 蘇神がそう言うのも当然だった。
 わざわざ重いものを外まで運ばなくたって(そして終わったら片付けなくてはならないのだから)、蘇神に一声掛けたらいい。蘇神は一瞬でほとんど何でも作ることができるし、断神の頼みなら快く引き受けただろう。
 ところが断神は大真面目に首を振った。
「蘇神に作ってもらったら、ご招待になりません」
「そうなの……?」
 蘇神は断神の丸い頭を見下ろした。
 蘇神の孫を慈しむような視線に気がつかないまま、断神はこれまた大真面目にこくりと頷く。
「そうですよ。蘇神だってお客様なのです。お客様を働かせるわけにはいきません。さあ、座ってください」
「なんだか悪いわねえ」
 断神が近くの椅子を引くと、促されるままに蘇神が腰を下ろした。すぐに断神がかかとを上げて蘇神の前にお菓子を置く。座っても視線は蘇神の方がまだ高い。
「せめてお茶はわたしが入れましょうか?」
 背伸びをしてくるくると働く断神を見ていると、なんとなく危なっかしく思えてしまって、蘇神はこっそりはらはらと見守ってしまうのだ。
 昔ならいざ知らず、最近は断神が失敗するところは見ないけれども。
「だめなのです。蘇神は今日は座ってお茶を飲むのが仕事なのです」
 蘇神がふふっと笑う。
「お仕事なの?」
「そうなのです」
「そうしたら仕方がありませんね。でも申し訳ないわねえ。……あら、いい匂いだこと」
 断神が湯飲みに注いだ黄金色のお茶から芳しい香りが立ち上った。お茶の甘い香りとそれから、
「お花の香りがするわね」
 蘇神が両手で茶器を揺らして香りを楽しむのを見て、断神がにっこりと微笑んだ。
「花神たちからもらった金木犀を乾かしてとっておいたのです。それをお茶に混ぜました」
「まあ、おいしい」
「うふふ、よかったです」

 ふと突然、断神が遠くに向かって手をふった。蘇神が振り返る。
「凍神です。こっちですよー!」
 断神は、大声で凍神を呼んだ。
 ゆるゆると現れた凍神は、断神と蘇神の横を通り過ぎようとして、本当に通り過ぎてから、ゆっくりと振り返った。
「あ」
 眠っているような白い顔がゆったりと傾く。見とれるような美しい姿態の持ち主ではあるが、いかんせん何事にもゆっくり過ぎる。
「こんにちは。何か、ご用ですか……?」
「こんにちは、凍神。お茶を飲んで行きませんか?」
 断神が急須を持ち上げてみせた。
 凍神は、台の上の茶器と断神のちんまりとした佇まいを時が止まるほどぼんやりと見つめて、三拍ほど置いてふんわりと椅子に腰掛けた。
 断神が待ちながら用意していたお茶を凍神の目の前に置く。
「では、どうぞです」
 静かにお茶を味わっていた蘇神が口を挟んだ。
「断神、既に皆に声を掛けたのではなかったの?」
「違います。ここを通りかかった方をご招待なのです」
 蘇神は少し驚いたが、納得した。
 断神らしからぬ行き当たりばったりだと思わぬこともないが、久々のこの天気、皆出歩いているだろうし、歩き疲れた頃にここを通りかかったものにお茶を振舞うというのは、なかなかに準備がよくて断神らしいといえなくもない。
 実際普段から断神と蘇神のところにお茶を飲みに来るものは多いのだ。何にしても蘇神は断神のこの思いつきが気に入った。涼しい風の中で高くなる秋の空を日がな一日眺めるのも悪くない。
「それは素敵ね。皆、来てくれるといいわねえ」
 断神が笑顔で請合った。
「大丈夫なのです。ここは『こうつうのようしょ』ですから」
「交通の要所ね。そうね、ふふふ、きっと皆通りかかってくれるでしょう」
 蘇神はくすくす笑いながらお菓子を手に取った。
 その横で、日が暮れそうなほど延々とお茶を眺めた凍神は、やっと茶器に手を伸ばした。
「……いただきます」
「はい、どうぞです」
 しかし、凍神が茶器に口を付けた瞬間、お茶はしゃりしゃりと凍ってしまった。やはり三拍ほど置いて、凍神は「あら……」と首を傾げた。
「凍神、使ってください」
 凍神は横から差し出された匙を受け取って、そしてゆっくりと蜂蜜色の氷をしゃくり、と食べた。
「おいしい……」
 しゃくり、しゃくり、と氷状のお茶を食べる凍神は大変満足そうだった。

*****

「断神」
 茶器を補充しておこうと家に向かうと、蘇神から声を掛けられる。断神はきょとんと振り返った。
「何ですか?」
「そろそろ、あなたもお座りなさいな。ゆっくりとお話するのだっておもてなしですから」
 嗜めるように言って蘇神が立ち上がって椅子を引いていた。断神が肩を落として呟いた。
「……そうですね」
 断神はしょんぼりと椅子に登って座った。
「落ち着かなくて、すみません」
「……本当に断神は頑張り屋だけれど」
 蘇神が断神の丸い頭をゆっくりと撫でた。叱ったわけではなくて一緒にのんびりしたかっただけなのだが。
「断神の分の一杯だけはわたしに入れさせてちょうだいね」
「……はい!」
 断神が顔を上げた。

「断神、空がきれいですよ」
と凍神が匙で空を指して、やっぱりふんわりと笑った。