リクエスト企画にて
『レギュラー、おなご混合で対談(特に幽神)』
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ひょうたんを枕に死んだように寝ていた幽神が目を覚ましたのは霧の中だった。
「あれぇ? 風ちゃあん?」
一緒に飲んでいた風神がいない。
どころか、生き物の気配がまるでしなかった。まず音がしない。
白い霧がどこまでも果てもなく広がっている。
きょろきょろと辺りを見回し、幽神は頭をかいた。
「ここ、どこだろう〜? ん〜〜」
思慮深げに首を傾げはした幽神だが、実は何も考えていなかった。
泥酔した頭の中にはきっと宙を漂う霧と同じものが詰まっているのだろう。
無駄に長くて重い睫毛をぱちぱちと瞬いて、幽神はへらりと笑った。
うっすら染まった目元が意味もなくなまめかしい。
「よし、飲もう!」
酒で潤んだ瞳をカッと見開くと、幽神は細い腕で酒の詰まったひょうたんを高々と霧に向かって掲げた。
「慈母のお恵みにぃ、かぁんぱ〜い!」
何があっても手放さない朱い酒杯に、透明な酒を並々と注ぎ、幽神はこの上なく幸せそうに飲み干した。
事実、自分がどこにいるか分からなくとも、幽神は幸せだった。酒さえあれば。
つまり、いつもと同じだった。
*****
「お・さ・け・が〜、無くなるかもォ〜」
調子っぱずれに歌いながら、幽神は歩いているというよりも踊りながら前に進んでいた。
前後左右にぐらぐらと傾きながら、決して転ばない。危うい足元は見事な千鳥足である。千鳥足に上下があるなら殿堂ものであろう。
ここがどこかもわからない、誰もいない、それでも幽神に焦る様子はない。
移動しているのは、言葉どおり飲んだくれ過ぎて酒の残量に不安を覚えたためである。幽神の原動力は主に酒である。
「お・さ・け・が〜、湧いてこないかなぁ〜、ん?」
そのとき、ぴくん、と幽神の鼻が反応した。
「うふふ〜、お酒の匂いがする〜」
どこからともなく芳しい香りが漂ってくる。
難問にぶちあたった学者のように繊細な眉を寄せて考え込むと、ふわふわの髪が白磁の頬に無駄に優美な影を落とした。
「う〜〜ん。私好みのいい匂い〜」
幽神はくるりと一周して一番香りの強く漂う方向を確かめると、迷いなき千鳥足で歩を進め始めた。
燃料を補給するための休憩をしばし入れつつ、幽神は確実に前に進んではいたものの、依然霧が晴れる気配はない。ただ、酒の匂いが次第に濃厚になってきた。
相変わらず幽神の視界の範囲には、遠くの山陰すら見当たらない。幽神はふと足を止めた。
人影が見えたような気がしたのだ。
「あれぇ?」
視線の先でその人影らしきものが濃くなったように見えた。
幽神が立ち止まると、ぱたぱたと緊張感のない足音が近づいてきて、ぼんやりしていた輪郭が徐々に明らかになった。
幽神は瞬きする。
「きゃあああ」
霧の中で初めて出会った女は間延びした歓声を上げ、幽神を認めて嬉しそうに笑った。
美しい女である。
人の酒量はともかく顔などどうでもいい幽神が、めずらしくその女に一種異様な懐かしさを覚えてまじまじと見つめてしまったが、既視感の正体はつかめない。
しかし、すぐに考えるのを放棄してしまった。
女には敵意がまるで見えなかったし、何よりも酔っぱらいであった。女は顔から胸元まで桃色に染め、へらへらと気分良く笑っている。
強く漂う酒の匂いに、すでに幽神は幸せを味わった。酔っぱらいは万国皆友達である。
女が手に持つ酒杯は、縁ぎりぎりまで注がれ、零れない。酒の一滴たりとも零さないのは女の酒飲みとしての高等技術だろう。
霧の中で突然居合わせたこの女に、幽神はこの上ない友情を覚えた。
幽神の友好の感情を示す方法はただ一つ。
にっこりと、残り少ないひょうたんを掲げて見せた。
「お酒、のむ〜?」
女がにっこりと頷いた。
「わたしのもぉ、どぉぞ〜」
「わぁ〜」
二人は意気投合した。
「なんという味わいかしら。すっきり辛口、でも口当たりはまろやか。いくらでも飲めてしまうわねぇ〜」
幽神の酒を干した女がうっとりと目を閉じる。
「で〜しょぉ? 今年はぁ、おコメの当たり年だったから、格別なんだよ〜〜」
「わたしの方は少し甘口なの〜、たまには甘いのもいいと思うわぁ」
「うぅ〜ん、これはまた……。まったりとコクがあるねえ」
二人は全く同じ調子で飲み干し、注ぎ交わした。
そして延々と語り合った。酒について。
杯を干せば、すっと横にひょうたんが掲げられている。
手酌でなくても、阿吽の呼吸で延々とこんなに楽しく酒を飲めることは、そうなかった。
気分よく杯を干していたが、ふと幽神は女の名前すら知らないことに気がついた。
聞いても聞かなくても構わなかったが、とりあえず聞いておくことにする。酔いが醒めて覚えているかは定かではないが、楽しい時間を過ごす相手の名前ぐらい聞いておくべきだろう。
「名前、なんて言うの〜?」
「そういえば〜聞いてなかったわねぇ。わたしは幽神って言うの〜」
「奇遇だね〜。私もぉ〜幽神って言うんだよ〜」
女が目をまん丸にした。
「わあ……珍しいこともあるものねぇ〜」
幽神と幽神と名乗った女はお互いに驚いたものの、すぐに解決策を見出した。
「ん〜〜ここはとりあえずぅ」
「乾杯しとくぅ?」
「そうよねぇ。慈母にぃ、かんぱ〜い!」
「おお、我らが慈母にかんっぱ〜い」
異国風に杯の縁をあわせて、二人で一気に酒を干す。
二人の顔には笑顔が、酔っ払いの世には平和が満ちていた。
「あ〜! 幽神! こんなところにいたっ!」
「あれぇ? 風神?」
元気いっぱいの声が響き、女が振り返る。つるりとした肌にやたらに目が大きい子供が仁王立ちしていた。女が気安げに笑って応えている。
女が呼んだ名前に幽神がぴくりと反応した。
「風神?」
「そう〜、あの子は風神っていうの〜」
幽神の手からからん、と杯が落ちる。
「風ちゃんがあんなに小さく……ではなく、あ……の、女の子に見えますのは私の目が錯覚など起こしているに違いないと確信しているのですがあわわわ……?」
「風神は女の子よぉ? 突然どうしたの〜?」
女がきょとんと首を傾げた。突然真っ青になった幽神の顔を心配そうに覗きこむ。幽神は応えずに、子供の顔を穴が開くほど凝視した。
「大丈夫〜?」
風神と紹介された子供が目を大きくして幽神を見つめた。
「このひとは……?」
「いえすみません、お詫び申し上げます! お酒がおいしくて生きていてああ幸せなどと普通の人のようなふりをしたりしてしまって申し訳ありません、生きててごめんなさい、すみません、大変申し訳なく、遺憾に思うしだいであります! ……あんなに尖っていた風ちゃんが……あんなに素直でいい子そうな……いえ風ちゃんが素直でなかったとかいい子ではなかったなんて口が裂けたって申し上げることは致しかねますが、なんと申していいのやらしかもこのようにいたいけな女の子であったなどと、」
「幽神ぃ! このひと何の話してるの!?」
「え〜〜と?」
ぽかんとして見つめる二人の視線に幽神は気づかない。
「出会い頭にガンつけない巻き舌でないお子様の風ちゃんにお会いできるとは恐悦至極で私ったら何を言っているのやらはてさて、風ちゃんの幼少時代につきましては一切記憶にございません!!」
さっきまでの楽しさはどこへやら、一気に酒が切れた幽神は恐慌状態に陥っていた。
「幽ちゃん! どこにいたのよ!」
「うっひゃああ!」
今度は後ろから本物の風神に話かけられた幽神は本気で飛び上がった。
完璧な化粧に派手な衣装の風神が心配そうな顔で近寄ってくる。
「一気に霧が出ちゃって、探したのよ!」
幽神はひょうたんを抱え上げて一気飲みに逃げた。
「あ、幽ちゃんたら、またそんな飲み方して!」
子供の風神が怪訝な顔で風神を指を突きつけた。
「だからさっきから何なの!? 幽神、このケバいの誰?」
風神が見知らぬ女の子を見下ろして、眉を潜めた。
「はぁ? ケバいって誰がよ、このちびっ子!」
「ちびっ子ぉ!? 誰がだよぉ!」
「あ・ん・た・よ! じゃなくて、ちょっと待って。この子供どこかで……」
「子供じゃないってば!」
「何だかぁ、気があってるみたいねぇ? あなたお酒強そうだしぃ。記念に一杯いかがぁ?」
「何、幽ちゃんみたいなことを言っ……」
「あらぁ? 霧がだんだん晴れ――」
「わぁ、何!?」
ぐらん、と地面が揺れた。
幽神は、滅多にない悪酔いしたときと同じように、意識がどこかに引っ張り込まれる感覚に襲われ、風神の衣の裾を掴んだ。
ぐらぐらがたがたと地面だけでなく、空まで揺れ始める。
幽神はそのまますうっと意識を手放した。
次に幽神が目を開けると、霧はすっかり晴れ、元の場所に戻っていた。
女の姿も、ちびっ子の姿も消えている。
最初からいなかったかのように。
「何だったんだろう〜?」
怪訝な顔で幽神は、横で倒れている風神を見やった。
「まあ、いいか〜」
*****
「ほぉらっ! 素晴らしく似合ってるわよ!幽ちゃん!!」
珍しく風神の意のままに飾り立てられた幽神の目の前に、得意げな風神から鏡が差し出される。
ぼんやりとなされるがままに受け取った鏡を見る。華やかな色合いに目がちかちかする。衣服にも飾りにも興味はないが、風神が楽しそうなので別に構わない。
鏡の中の自分としばらく見つめ合って、幽神がふと思い出したのは夢か現実かもよくわからない、霧の中で合った女だった。
女の顔を見て覚えた奇妙な既視感の正体に思い当たったのだ。
「なるほど〜〜本当に私だったのか〜」
「なぁに? 何のこと?」
不思議なことに、風神は霧のことも、あと一人の幽神と自分に会ったこともすっかり忘れ去っていた。
「ん〜〜、よくわかんない。でもあっちの風ちゃんかわいかったなあ〜。小さくて」
「何? あっちの、私?」
一言で説明出来る現象では無かったので、幽神は怪訝そうな風神の疑念を解くことを投げた。混乱させるだけの話をするくらいなら、その時間で楽しい酒を飲みたいと幽神は考える。
「さてと〜〜。飲むか〜〜」
「あー! 急に立たないで! 裾が破けるわっ!」
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さて一方では。
ちびっ子、と称された風神は頬をいっぱいに膨らませていた。
横で幽神がわざとらしくため息ばっかりついているからだ。
「あっちの風神は〜、お酒が強そうだったのに〜、この風神はちびっ子だからぁ。ああ〜残念だわぁ」
「だからちびっ子って! さっきから、あっちって何なの!?」
「あらぁ。覚えていないの〜?」
「何をだよぅ! だいたい、ぼくはちびっ子じゃないったら!」
「そうか覚えてないの〜。ふふふ〜、でも〜ちびっ子じゃなくて大人だったらぁ、わたしのお酒が飲めるわよね〜?」
「飲め……」
酒杯になみなみと注がれた酒を前にぐるぐると悩む風神を見て、幽神は艶っぽく微笑む。
「はい、そぉれ。いっきいっき〜!」
酒杯は間から伸びた手に取り上げられた。ぐいっと干された杯が幽神の手に落とされる。
爆神が眉をつりあげて幽神を見下ろしていた。
「こぉらぁ!幽神、また風神をからかって」
「あらぁ、爆神。いい飲みっぷりね〜。今日は一人なの〜?」
爆神にはいつも養い子の男の子たちがくっついてまわって、爆神の争奪戦を繰り広げているのだ。彼女が一人で居るのは珍しい。爆神が苦笑いに近い表情を浮かべて簡単に答えた。
「たまにはね」
「あの子たちもぉ、お母さんしか見えてないからねえ。爆神にだって息抜きが必要よ〜。はい、もう一杯どぉぞ」
「だから飲みに来たんじゃないんだよ。ああもう、風神は行っちまいな」
「うーなんか負けた気分。ぼくだって飲むもん! 負けないぞ!」
「そんな勝負、負けたほうがいいんだよ!」
「う・ふ・ふ〜、んでどっちが飲むのかしら〜?」
爆神が片手で風神を押さえ込み、酒杯を受け取った。
*****
二人の幽神が謎の霧に遭遇することは二度となかった。
それぞれたまに思い出すのだが、それもそのうち日々の酒の彼方に忘れてしまった。
もっとも、また出会ったとしても、どうせ酒を飲むだけなのだろうが。
おしまい。