※このお話はおなご版お茶話と対になっています。違いをお楽しみください。

 
 空は晴れ渡り、馬は肥え太り、鳥は高く飛び、風は澄み渡り、どこからどう見ても素晴らしき秋の日だというのに、凍神はおののききっていた。

 手の中の茶をごまかしのために啜ろうにも緊張のあまり口をつけた瞬間凍ってしまい、以後手持ち無沙汰である。
 茶菓子の類も食いつくした。
 しかし、この場を辞すには不穏な緊張状態を破る必要があり、凍神にはその突破口になる勇気は持てなかった。
 どこが不穏か、それは目の前で茶を啜っているのが蘇神と断神である、という事実に起因する。
 理由はそれだけで十分であろう。
 凍神は座っているだけだが、視線をどこにやっていいかすらわからない。
 凍神は別に好き好んでこの2人と茶を啜っているわけではないのだが、とにかく、さわやかな秋晴れを味わう余韻もなく、むしろ無縁の不毛さを漂わせた無言の長老2人を前にして凍った茶碗を片手にじっと縮こまっているしかないのだった。

*****

 凍神が蘇神の庵の近くを通りかかったのは、遠くから濡神を一目でも見れればいいとかそういった僅かな下心があったわけではない。
 断じてない。
 もう一度言っておくと、決してない。
「あれ、蘇さん?」
 蘇神の庵に隣接した濡神の小さな庵を片目で認めたものの、急いで通り過ぎようとしていた凍神が立ち止まった。
 いつもは庵に篭もっている蘇神が、珍しく外に座り込んで寛いでいる。茶器を載せた小さな台を前に、大きな鉄瓶を横に置いて戸口にもたれ掛かっていた。
 おだやかな陽光の下で茶を啜りながら目を細める姿はいかにも好々爺然としているが、なかなか食わせ者のじじいである。
「珍しいですね。日向ぼっこですか?」
 濡神がいたらきっと黙って回れ右をしていたに違いないが、凍神は蘇神一人しか見あたらないので安心して声を掛けた。
 これでなかなか繊細なのである。
 蘇神は皺深いまぶたを持ち上げて、気がない目線を凍神に向けた。
「凍神か。……濡神ならおらぬぞ。所用で明日まで帰らん」
 億劫げにそういって蘇神はまた目を閉じてしまう。立ち尽くした凍神はかーっと白い頬に血を上らせた。
「べ、べべべべつにそういうわけじゃ……ッ!」
「ま、せっかく来たのなら茶でも付き合え」
 凍神の慌てる様子に気を払うでもなく、蘇神はゆったりした仕草で茶器を引き寄せ横の鉄瓶を傾けた。大きな鉄瓶からそのままお茶が注がれる。
 もともと自分用に直接鉄瓶に茶葉を入れて煮出してあるものらしい。
「ほ、本当に違……ッッ!」
 赤くなったり青くなったりする忙しい凍神を、蘇神は両目を開けてじろりと睨み上げた。
「で、茶は飲むのか、飲まぬのか」
「い、いただきます」
 凍神は蘇神の隣に小さく正座して座り、湯のみを受け取った。
 恐縮しつつも口を付けた凍神は、ふわりと漂う変わった香りを味わった。茶は冷めていたが、凍神は気にならない。
「おいしいですね。色は濃いけど渋くないし」
「ふん。ただの豆茶じゃが」鼻を鳴らした蘇神が、自分の茶を注ぎつつ付け加えた。
「濡神の手製じゃ」
「えッ!」
 ぼとり、と凍神が湯のみを取り落とす。「あ、あ、ああーーー!!」やわらかい地面に落ちた湯のみが割れることなくひっくり返り、お茶は零れて地面に黒いしみを作った。
 地面にがっくり手を突いた凍神は泣きそうな顔で蘇神の顔を見つめた。
「蘇さん……画龍で元に戻……」
 蘇神が呆れたように言った。
「そら、お代わりをやるから、湯飲みを川で注いで来ぬか」

*****

 凍神と蘇神は口数が多いわけではない。
 自然と落ちた沈黙の中、向かい合わせで茶を啜っていたが、凍神はこの突然のお呼ばれを結構楽しんでいた。冬に続く秋の涼しい風は心地よい。

 が、凍神が素直に楽しめたのはそこまでだった。

「む」
 突然、蘇神が僅かに眉を寄せた。

 庵の横の茂みががさり、と音を立てた。
 凍神がごくりと息を呑んだ瞬間、がさがさがさ、と近づいた音の主が葉っぱの塊になって飛び出してくる。
 蘇神が長いため息をついた。
 勢いがつき過ぎた塊はごろごろと蘇神と凍神の前を横切って止まり、ぱたりと倒れた。
 再び湯飲みを取り落としはしなかったものの、凍神が驚いていると、目の前で何事もなかったかのように塊が立ち上がり、何度か飛び上がって葉っぱを落とす。
「た、断さん……?」
 葉の塊、もとい断神は、体より大きな剣をそこらに投げ出して、とことこと近づいてきた。
 断神の丸い黒い目が、ぱちくりと瞬く。凍神がびくりと構えた。予測のつかない断神の動きは凍神の手に余る。警戒するのは賢明と言っていい。

「蘇よ」
「なんじゃ」
「腹が減ったのである」
「知らぬ」
 飄々とした顔で茶を啜っていた蘇神が顔をそむけた。
「その前に断神よ、儂に言うべきことがないか」
「さて」
 断神が蘇神の方に視線を向けることなく答える。
「うちの裏を勝手に伐採するでない」
 断神はくるりん、と蘇神を無視して凍神の前に立った。
 そして頭を傾けた。
「えっと……?」
 湯のみを握ったまま、凍神は断神と蘇神の間に視線をさまよわせた。凍神にはバリバリと音を立てて空気が凍り付いていくさまが見えるようだった。
 目の前にあるふわふわの髪の毛に葉や枝が絡まっている。
 知らん振りを決め込んだ蘇神を横目に、凍神は座ったまま、恐る恐る断神の頭に手を伸ばして葉っぱを取り除いた。
 いくら小動物めいた外見でも、断神に触れるのはためらわれた。爪を研いだ猛獣のふかふかした毛並みに触ってこいと言われた感じと言えばいいだろうか。
 いくら腹が減っているとはいえ、断神が凍神の頭からバリバリと齧ることを心配するわけではないけれど。
「と、取れました……けど」
 断神は僅かに頷いた。それでよかったらしい。そのまま凍神に向かって呟いた。
「腹が減ったのである」
「え、……えええーー、俺?」
 断神はこくりと頷いた。凍神は慌てて懐を探ったが食べるものは見あたらない。
「……すみません。今、何にも持ってなくて……」
 そのとき、ぐるぐるぐるぐる、と断神の腹が鳴った。
「……もちが食いたいのである」
「も、もち……?」
 凍神は困惑した。
「え、ええっと?」
 救いを求めて縋るように蘇神を見つめると、しょうがないとばかりにひとつため息をついて蘇神が身を起こした。
「……若い者の前で見苦しい真似を」
 蘇神は渋々ながらというのが嫌でも伝わってくる乱暴な動作で、茶の入った鉄瓶を断神の前に置くと、
「これでも飲んでおるがいい」
と言い捨てて庵の中に入ってしまった。
「あ、の? 俺は……どうすれば……」
 断神は、おろおろする凍神を尻目に、気にする様子もなく鉄瓶を両手で抱え上げた。
 慌てて湯飲みを用意しようとする凍神に、小さくふるふると首を振って断り、鉄瓶の注ぎ口から直接こくこくとお茶を飲む。細い腕で重い鉄瓶を抱え上げても、小揺るぎもしない。
(ら、らっぱ飲み……)
 凍神が鉄瓶一気飲みに目を奪われているうちに、蘇神が庵の中から大きな盆を持って出てきた。
 盆の上には皿盛りのもち、お菓子、乾燥した果物がこんもりと盛られて、とても三人分の量ではなかったが、断神の食欲を考えれば少ないくらいである。
 皺深い表情に疲れた色を滲ませて蘇神は言った。
「凍神」
「あ、はい」
「お主も食うてゆけ」
「え……う、あ……」

 凍神が年長者の誘いを断れないことを差し引いても、とても否といえる雰囲気ではなかった。
「よ、喜んで……」
 凍神は引きつった笑いで答えた。