弓神は湯気を立てるもちを小さくちぎってくるくる丸める手を止めた。

「腹が減ったのである」
 いつの間にか、ぽん、と隣に現れて熱いもちを見つめる小さなじじいを胡乱げに見やって弓神は言った。
「知るか」
ぷいと目をそらして弓神は黙々ともちを丸め続けた。

 台の上にはもちが貼り付かないように粉が広げられ、真っ白なもちが均等に並べられていく。粉をまぶされた上品な丸いもちはふわふわとこの上なくおいしそうだった。
 断神はこぼれそうに大きな目で、並べられていくもちと、滑るような弓神の手を食い入るように見つめていた。断神の体より大きな剣は脇に放り出されて所在なさげに転がっていた。小さな手は弓神がもちを丸めるのにつられて、きゅっきゅっと握りしめられている。
「うまそうなのである。つやつやしているのである」

 弓神は答えずに手を動かした。
 作業している真横に断神に張り付かれるのは邪魔で仕方がないが、それとは別に真正面から誉められて内心悪い気はしない。が、反応はしてやらない。
 これは弓神が慈母にあげてもいいつもりでついたもちである。衣をたすきがけにして袖を捲り上げた気合の入った姿でも、『どうしても慈母が食べたいと言うなら仕方がないからあげてもいいつもり』のもちつきなのである。突っ込んではいけない。
 ともあれ、例え相手がお腹を空かせたかわいそうな子供であろうと、か弱いよぼよぼの老人であろうと、断じてほだされるつもりはなかった。
 しかも、断神はお腹を空かせた子供に見える老人であることに違いはなくとも、どこを取ってもか弱くない。弓神が同情する余地はない。

 隣の存在を無視して黙々ともちを千切っては丸め千切っては丸めを繰り返すうち、弓神は断神がいること自体をうっかり忘れかけていた。額にうっすらと汗がにじむ。この調子だともう一回くらいもちをついてもいいかもしれない、と弓神は自分でも気付かずに小さく笑みを浮かべた。
「うさぎの子は」
 突然隣から話しかけられ、作業に没頭していた弓神の耳がぴんっと立った。
「な、なんなのさッ」
 一瞬頭の中を読まれたのかと思って、弓神の頬が赤く染まる。気にも止めずに断神は淡々と手のひらを出した。
「儂にももちをくれるのである」
「はあっ?」
 断神は当然のように小さな手のひらを差し出した。弓神は眉を吊り上げた。表情の読めないまん丸の目を見つめて、弓神は作業を邪魔されたことも相まって苛立たしげに舌打ちした。
「僕がどうして……」
「見るのである」
 弓神は手のひらに丸めかけのもちを載せたまま、出来立てのもちがきれいに並んだ台を見渡し――――もちに指をめり込ませた。
 見覚えのある手が台の下からにゅっと突き出したと思うと、迷いなく台の端のもちを取り、台の下に引っ込んでまたもちを同じ場所に戻した。しかし、戻されたもちは形も不格好で色も微妙にくすんでいる。明らかに弓神が作ったもちとは別物だ。
 唖然とする弓神の目の前で、さらに別の手が隣のもちに伸びた。目がついているような的確な動きで二本の手は瞬く間に一列を取り替えてしまう。図々しい手は迷いもなく次の列まで伸びた。
「わかったら儂にもくれるのである」
 弓神の肩はわなわなと震えた。
「……じゃないだろ! 分かっていたなら先に言えよ……!」
 弓神は斬れそうな視線で断神を睨みつけたが、断神は首を傾げてぱちくりと瞬きしただけだった。理屈の通る相手ではない。弓神は腹いせにもちにめり込んだ指を引き抜いて全力で断神に投げつけた。
 断神は軽く飛び上がってもちを掴み、食べた。こくりと頷く。心なしか満足げである。
「うむ。うまいのである」
 弓神は聞いていなかった。杵を取り出して柄を握りしめ、そのまま台の脚に当たらないように、腰をひねって台の下に杵を投擲する。
「わーっ!」
「ぎゃー!!」
 悲鳴とともに手の持ち主が台の下から転がり出てきた。
 杵はビュンと凄まじい音を立てて台の下を通り抜けてくるくると弧を描き、弓神の手にパシンと音を立てて戻ってきた。
 弓神が柄を地面に突き立てると、蓮神と蔦神がぎくりと立ち上がった。しかし、二人の細い腕は弓神のもちを山盛りに抱えたままだ。
「おいコラ」
 二人はいっぱいにした頬をもごもごと動かした。弓神と目が合うとバレたとばかりにへにゃっと笑う。と、喉を押さえて転がりまわった。ぼたぼたともちが落ちる。
「お前ら、何やってんだよっっ!」
「もごっ、うぐぎゅみ……」
「にょ、喉につまっ……水―っ!」
「ほんっとーにっ、何やってんだよっっ!!!」
「うさぎの子よ」
 もちを喉に詰まらせて悶え苦しむ蓮神と蔦神に目もくれず、断神は淡々とまた手を出した。
「何だよ……?」
「儂にももっともちをくれるのである」
「し、知るかあああっっっ!!」
 弓神はやみくもに杵を振り下ろした。断神がすいと身をそらして避けた。身軽な泥棒どもには当たらない。
「ぷはあ! 死ぬかと思った! つきたてうまーい!」
 ぎりぎりで杵を飛び越えて蓮神が言った。
「ほんとにー! ユミユミ天才〜!」

*****

「蓮、蔦。うまいじゃないだろう? ユミユミがかわいそうじゃないか」
 ひょいと掛けられた声に弓神はが視線を向けると、ひらひらと手を振る咲神が立っていた。弓神の眉間がぎゅっと寄せられる。
「咲! またお前の差し金か?」
「何の?」
「……何のって」
 咲神は清々しい笑顔で立っていた。
 白々しいにも程がある。弟たちの悪戯の影にはこの兄ありだ。この騒ぎも、咲神が弟たちを言葉巧みに誘導したに違いない。悪事が露見したら早速事態を回収しに表れるわけで、律儀だと言ってもいいのかもしれないが、弓神にとっては盗人猛々しいとしか言いようがない。
 咲神をどうとっちめてやろうかと弓神が試案したとき、咲神がのんびりと弓神の後ろを指差した。
「いいの?」
「何がだよ! 話を逸らそうとするな!」
「じゃなくてね……」
「え……うわああ!」
 弓神は振り返って悲鳴を上げた。

 台の上に残っているのは、花神たちがもちとすり替えた何かだけだった。残りは粉だけしかない。
 断神が両手に掴んだもちを次々にぽいぽいと口の中に放り、瞬く間に飲み込む。蓮神と蔦神がぽかんと口を開けていた。
 断神が今度は顔より大きなもちにかぶりついていた。弓神が最初に作って避けておいた鏡もちである。それを止める間もなく瞬く間に食べ終えていた。
「お、お前ら……どれだけ食べたんだよ!」
「んー……たくさん?」
「……主に、断のじいちゃまが」
 くるくる表情の変わる良く似た顔だちの二人が顔を見合わせた。彼らが食べるのを忘れるほどの、断神の食べっぷりだったらしい。弓神がほんの少し目を離した隙のことである。どれほど凄まじかったか、弓神は想像するのも嫌になって肩を落として呟いた。
「誰が……全部食べていいなんて……」
「うまかったのである」
「それで済ますつもりか、おいじじい」
「うさぎの子は儂にもちをくれたのである」
 断神はくわふ、と大あくびをした。そして大剣を抱え込んで、その場で丸くなった。
「さて、儂は眠いのである。寝る」
「こンのぼけじじい……」
 次の瞬間、断神は本当に寝た。怒り心頭のあまり、叩いても転がしても押しても引いても耳元で大声を出しても起きない断神を前に、弓神は地獄の底から這い上がるような低い罵り声を上げた。
 こうなると食べるだけ食べて寝てしまった者勝ちである。じじいは自由自在である。

「これじゃ慈母に持っていけない……」
 途方に暮れる弓神を哀れんだのか、咲神が提案を出した。
「もち状の何かでよければすぐ出せるよ。貼り付くのが難だけど」
「貼り付くもちって何さ!?」
 咲神は台の上の蓮神、蔦神がもちとすり変えた塊を指差して言った。
「ん? とりもち」
 弓神は今度こそ物も言わずに、咲神の首を絞めた。
 大量のとりもちなど用意するのは咲神しかいない。白々しい今更の犯行告白に、弓神はほとんど本気で殺意を覚えた。
「ははははは……ぐるじいぐるじいよ」
 そのとき、蔦神が殊勝にも言った。
「あのう〜ユミユミ〜兄ちゃん死んじゃうよー。僕たちそれなりに邪魔して悪かったと思ってるの。だから今からユミユミの代わりにもちつきするから」
 弓神の手が緩む。咲神がするりと逃れて痛そうに首をさするのを、弓神が睨みつけた。
「あのじじいもか……?」
「断のじいちゃまに手伝ってもらうのは難しいんじゃないかなー……ってあれ?」

「おわっ」
 何をしても起きなかった断神が突然むくりと起き上がり、傍にいた蓮神が跳んで逃げた。断神が何事もなかったかのように、いそいそと立ち上がる。
「うむ、何をするのであるか」
蓮神が胸を撫で下ろした。
「あーびっくりした。今からもちをつくんだって」
「何を斬ればいいのであるか」
「斬ったら多分もちは出来ないよ」
「じゃあここで僕が慈母のために特製の米を……」
 弓神は、いそいそと懐から何かを取り出そうとする咲神を押しとどめた。眉間をごりごりと押した。その内癖になりそうだ。
「お前らに任せてたらどうなるか……もういい分かった。僕がやるから全員責任もって手伝えよ!」
「はーい」
「うむ」
「はあ、返事だけはいいんだよね……返事だけは」
 弓神はため息とともに杵と臼を取り出した。

 皆はそれなりに全力で頑張った。しかし、どんなもちが出来上がったのかは、慈母のみぞ知る。