澄み切った秋の空には迷惑な小動物の消化意欲を喚起する迷惑な成分でも入っているのか。

 そのような世迷言が脳裏をよぎるくらい、蘇神は辛抱の限界に果敢に挑戦させられていた。
 この季節は普段以上に断神がよく食べる。
 対断神用備蓄、つまり普段以上に腹を鳴らして座り込んでは腹が減ったの眠いのと自分に素直な断神を黙らせるために必要な携帯用食物は既に底を尽きかけていた。
「腹が減ったのである」
 と、唐突に断神が言った瞬間、反射的に蘇神の手は懐から無造作にもちを取り出しており、そんな自分に気がついて、蘇神は表情を動かさずにむっとした。
 一瞬手が優美な仕草で宙をさ迷ったが、蘇神は諦めて断神にもちを投げつけた。
 蘇神より体半分も小さな断神はもちを苦もなく受け止めると、片手で背負った体より大きな剣を地面に放り出した。
 小さな両手でもちを鷲づかみにして大口でかぶりつく。
「さっさと食べてしまえ。目的地に着く前に日が暮れる」
 断神は黙ってもごもごともちを食んでいたが、ふと首を傾げた。

「ハリネズミである」
「何がだ」
「ハリネズミはネズミではないのである」
「だから何なのだ」
 確かにハリネズミは鼠ではなくモグラの仲間であるがそのような分類などどうでもいい。
 とげとげしてつぶらな瞳を持つ小動物の名前がハリネズミであろうとハリモグラであろうと、蘇神には関係ない。
「ハリネズミがいるのである」
 そして、断神の会話に脈絡はない。
 煩わしげに蘇神は断神の体が向いている方を見やった。
 草むらのかげにちらりと見えるのは間違いなくハリネズミだった。
 蘇神は少し目を細めた。
「このようなところで珍しいな……断神よ、お主は何をしている」
 断神がとことこと草むらに近づき、無造作にしゃがみこんで手を伸ばした。
 ハリネズミは気付いていない。
 断神が呼びかけると、ハリネズミはとげとげした針を出して電気が走ったように飛び上がると、恐る恐る草むらからちんまりした鼻面を突き出して、断神を見上げた。
 くんくんと鼻を鳴らすと、ぴょこぴょこと草むらから出てきて、とがった体毛を寝かせたままの小さな丸い体を断神にすりつけた。
 断神はひとつ頷くと、ハリネズミの体をぽふぽふと撫でた。
「うむ」
 断神は心なしか満足げである。ハリネズミはというと、別段恐怖でおびき寄せられたわけでもなさそうにのん気に断神の傍で寛いでいる。
 危ないから近寄るな、とハリネズミに向かって大真面目に言いかけたところで蘇神は口を閉じる。思わず口を開けっ放しにするところを危ういところで回避した。
 蘇神は、妖しい技を用い無抵抗状態にした小動物と戯れる断神、などという牧歌的光景を可及的速やかに脳裏から削除すべく目を逸らしたが、一度焼き付いたものをすっぱり忘れることは、覚えるのと同じようにはいかなかった。
 蘇神は背中をかきむしりたい衝動に駆りたてられたが、耐えた。
 取り乱す自分など想像するだに耐え難く、従って自動的に自制心が総動員されたにすぎないが、表面上は常と変わらず平静だった。
 美形は決して乱れてはならない。それが美形の業である。
 美形とはなんと気の毒な存在なのであろうか。

 何とか平常心を取り戻した蘇神は、ぞくぞくと小動物が断神の周りに集まっているのを見て、再び驚愕させられた。なんと断神が食べかけのもちを小さく千切ると集まった小動物に分け与えているではないか。
 固まった蘇神に構うことなく、ハツカネズミやらクマネズミやら、とにかくどこから出てきたか分からないネズミの群れに囲まれた断神は無言で手を突き出した。
 蘇神は我に返って懐から取り出したもちを断神に渡した。
「これで最後だ。しかし、ハリネズミはもちなど食わんのではないか」
 ため息とともに付け加えると、断神が蘇神をじっと見上げた。
「蘇は近寄るな。こ奴らが怯えておるではないか」
 蘇神は唖然とした。
 確かに小動物に龍は恐ろしいであろうが、断神の方がよほど危険であるというのに。
 あたりを見渡すと、蘇神の視線を受けて断神を取り巻いていた小動物たちが一斉に遠ざかり、地に身を伏せた。
 小動物たちのつぶらな瞳から強い怯えを感じ取って、蘇神は少しだけ傷ついた。

 美形は美形なりに苦労するのである。
 しかし蘇神の苦労が顔の造形とは特に関係がないことは改めて指摘しておきたい。