ツクツクホウシが鳴き始め、暑い日差しにひんやりとした風が混じり合う頃。

 蓮神は木陰に座って足を投げ出した凍神を見かけた。蓮神に気付く様子もなくぼんやりとしているところに声を掛けてみる。
「凍兄〜行き倒れてるのー?」
「ん……いや、花を見てたんだ」
 蓮神は凍神の視線を辿って枝の先に重そうな濃い桃色の花の房をつけた木を見た。同じ木が群生したそこは大きな一つの花束のように見える。噎せかえるような甘い花の香に蓮神はすんと鼻を鳴らして、意外そうに言った。
「珍しいね」
「どうして?」
 蓮神は凍神の隣に座り込んで一緒に花を見上げた。
「だってさあ、こいつ俺様夏真っ盛りだぜって顔してるよ?見てるだけで暑くなんない?」
 凍神は首を振った。
「冬にはないからね」
「花ふっさふさでさ。生きてるぜって感じするよね。この木はね、白い花をつけるやつもあるんだよー」
「へえ……見てみたいな」
 そう言って黙って二人とも花を眺めた。凍神が顎の下に伝う水を拭う。汗ではなくて凍神の体温が外気温より低いため、空気中の水が凝結し、結露するのだ。
 塩辛トンボが通り過ぎるのを目で追いかけて蓮神が言った。
「あ、兄ちゃんに言えばどんな色でも作ってくれると思うけど」
「遠慮しとくよ」
 凍神は笑って断り、立ち上がった。
「もう行っちゃうの?」
「うん、俺が一箇所に居すぎるとよくないから」
「大変だね〜。じゃあまたね、凍兄」
「またね」

 蓮神は手を振って凍神の後ろ姿を見送った後、一つ大きく欠伸をした。
「あ、ここ涼しい」
 蓮神は凍神が残した木陰の僅かな冷気の中で、しばらくしたら家に帰ろうと大の字でその場に寝転んだ。

*****

 翌日、凍神のところに満面の笑みの咲神が現れた。

「凍兄。蓮に聞いたけど、なんか生き生きした冬の花が欲しいんだって?」
「い……いや?」
 凍神は首をひねった。昨日の話のどこをどうしたらそんな話が出てくるかわからない。蓮神が咲神の後ろで手を合わせて平謝りしていた。
「そんなこと言った覚えは……」
「水くさいなあもう! そんな楽しいこと早く言ってくれたらよかったのに。ハイ!」
 と凍神が咲神から力強く渡されたのは小さめの球根だった。
「ウフフ。衝撃的だからね」
「う、植えなくていいからね! 植えちゃダメだからね!」
 楽しそうな咲神と対照的に蓮神は悲壮な顔で球根を取り上げようとして咲神に軽く阻止される。
 不穏な気配を感じて凍神が眉を寄せるのを尻目に咲神が言い放った。
「蓮……僕を甘く見ちゃいけないよ? なんと、この球根はちゃんと植えて貰えない場合」
「場合……?」
 その瞬間、咲神の眼帯で隠された目はぎらりと光ったに違いなかった。
 思わせぶりな間に引っかかった凍神と蓮神がつい息を呑む。
「自分で好きなところを探して植わりに行く」
「それは……どうしようもないね」
 きっぱりと言い切った咲神に、凍神は力無く呟いた。二人の、思いつきだけでものを作るのは迷惑だから止めてくれ、という無言の訴えを咲神はどこ吹く風で受け流した。どんよりとため息をついても堪える様子はない。

「名付けて自走式水仙! 生き生きした奴だから可愛がってやってね」
「凍兄ごめん!」
「じゃッ僕たちはこれでッ!」
 言いたいことだけ言うと、咲神は口元に会心の笑みを乗せたまま蓮神を引きずって帰っていった。何のことはない。屁理屈をつけて新作を押し付けに来ただけである。
「はぁ……いや冬は冬できれいな花はいくらでもあるんだけど……」
 凍神は体よく渡された球根を見つめた。どんな衝撃を運んで来ようとも、球根に罪はない。とりあえず秋になったら植えてやるかと諦めのため息を漏らして外套に仕舞い込もうとした。
ところが、球根は嫌がるように手のひらで蠢いて、ひゅっと根を伸ばし、地面に飛び降りて迷いのない足取りでどこかへ去っていってしまった。
「自走って……このことか?」
 凍神はげんなりと乾いた声で笑った。

 真冬になって、誰もが忘れたころに凍神は雪上を葉を振り振りひた走る水仙に出会った。
 なるほど確かにあり得ないほど生き生きとして衝撃的だったが、凍神の前を横切って水仙はあっという間に雪原の彼方に走り去り、そのまま二度と会うことはなかった。

 咲神の「生き生き」の定義は根本的に間違っている。