硝子窓の外でしんしんと降る雪を眺め、燃神はキセルの火を消した。
 片肘をついただらしのない格好のままで何度目になるか分からない欠伸をする。
 寒さに弱いわけではないが、冬はどうしても調子が出ないのは仕方がない、とぐるぐる廻る思考回路がまた同じ結論を出した。
 全く働かない頭に見切りをつけて早々に寝ることにして大きく伸びをした。
 冬になると燃神は山の上の庵に引き籠もってほとんどを寝て過ごす。
 填め殺しの厚い硝子の小さな窓がある小さな部屋にはほとんど何もない。とは言っても、何をするわけでもなく、ぼんやりキセルを吹かしているか、窓から雪を眺めているくらいのものだ。

 うとうとと寝そべってそのまま眠りに引き込まれそうになると、外から聞こえてきた声に意識を連れ戻される。
「もーえーに〜い〜! あーけ〜て〜!」
 燃神は騒々しくドンドン、ドンドンドンと扉を叩く音にむくりと起きあがって、寝間着の甚平を見下ろした。
 そしてわざわざ着替える必要もないかと扉を開けると、予想通りの顔ぶれが震えながら立っていた。花神の三兄弟、弓神と壁神が頬を寒さで真っ赤に染めて足踏みをしていた。咲神が寒さでしわがれた声で口を開いた。
「こんにちは」
 燃神が眠い目を見開いた。
 子供たちが珍しくお揃いのもこもこした上着を着ている。
「珍しいもの着てるなァ」
 と言いながら急いで燃神は子供たちを部屋に入れると同時にうだるような部屋の温度を慌てて下げる。
 物も言わずに駆け込んだ子供たちは、
「あったか〜い!!」
 と外套を脱ぎ捨てる。燃神の庵はいつもぽかぽかと暖かい。
 壁神が首を傾げて恐る恐る言った。
「…寝てたの? ごめんなさい…」
「いやァ…気にするない。どうせ冬は寝通しさァね」
 壁神の冷えた、もこもこの帽子つき外套の頭をわしわしと撫でる。
「よく似合ってるな」
 壁神がはにかんで笑う。
「…にいにが、皆の分を用意してくれたの。燃兄によろしくって」
 真冬になると、寒さに弱い花神たちが燃神の庵にやってくる。
 弓神と壁神は言うなればお付き合いというところだった。特に弓神は毎年不本意極まりない顔でやってくるが、何だかんだと付き合いはいい。

 弓神は寝入り端を襲撃されて機嫌が激烈に悪かった。
 蓮神と蔦神は寝ようと掛け布団を被った弓神の上に飛び乗って、反撃をくらい簡単に転がり落ちる。
「僕はもともと大して寝る必要だってないんだよ! なのにお前らは…!」
「疲れてないから眠れないも〜ん」
「眠れないもんじゃないよ! 今朝まで寒くて眠れないって半べそかいてた癖に…!」
 弓神は枕を掴んで蔦神の顔にぶつける。飛び交いはじめた枕を掴んで、燃神はひょいと投げ返した。勝負がつかない弓神と蓮神の枕の一騎打ちに割って入ると、
「お前らもいい加減寝たらどうだい」
「僕に言うなよ!」
「はぁい!」
 返事だけは元気な子供たちに、燃神は大丈夫かね、と眠そうに笑う。

「…咲ちゃんが寝ちゃった」
 枕を抱きしめた壁神がぽつんと言って自分も眠そうに欠伸した。ぽすっと音を立てて枕に顔を埋めた壁神に、燃神は「寝ちまえ」と布団を掛けてやる。壁神はこくりと頷いてもぞもぞと動くとそのまますーっと寝てしまった。
「咲も寝付きがいいからなァ」
 いつの間にか、薄い上掛けを頭まで被って咲神が寝息を立てていた。寝苦しくないのかと布団のかたまりになっている咲神を見る度に燃神は思うが、本人はそれで安眠しているらしい。
 よくこのうるさい中眠れるものだと感心するが、咲神は一度寝てしまうと耳元で騒いでも翌朝まで起きない。ただし、運悪く咲神の布団の上を踏んだりして何らかの邪魔をすれば――主に蓮神、たまに蔦神だが――、にゅっと伸びてきた手に足をガッと掴まれて布団の中に引きずり込まれ、眠ったままで身動きが取れないほどギリギリと羽交い締めにされる。息が出来ないくらいに絞め上げられて酸欠で意識を失いかけるころに漸く布団から放り出されるが、咲神はそれを全く覚えておらず、聞いてもきょとんとしてとぼけている様子もない。疲れるまで騒いで寝ない迷惑な弟達に対して咲神が無意識に編み出した安眠防衛策だろうが、今のところ弟達にそれを防ぐ手立てはなかった。
 大騒ぎしていた蓮神と蔦神の手がぴたっと止まる。
「あ…」
 急に静かになった庵にボォー…ン、ボォー…ンと低くて柔らかい笛の音が遠くから響いてきて、燃神と子供たちはしばらく外に意識を傾けた。
 音が小さく消えて何も聞こえなくなってから蓮神が何となくひっそりと呟いた。
「…凍兄の笛だね」
 蔦神が布団に潜り込んだ。
「そういえば僕、冬に凍兄に会ったことってないかもー」
 だいぶ会ってないけど元気かなあ、と笑う。
「…あの鈍牛が元気がないわけないだろ」
 蓮神が言うと、弓神が冷たく言い放った。眠るところを邪魔されてまだ機嫌が悪い。
「俺は冬の凍兄が一味違うところを知っている」
 そういうと蓮神が声を潜めた。
「凍兄は雪の上歩くとき足跡がつかない」
 そんなことはどうでもいい、言った蓮神を含めて全員の頭に類似の表現がよぎった。
「えーと…本当ならすごくないけどすごいね!」
 蔦神が一応ものすごくどうでもよく反応し、一同はまた押し黙った。
「…まァ、本当のことではあるんだがな」
 くわっ、とどこかの誰か並みの大欠伸をして、真面目な顔を作った燃神が言った。
「もう寝ろ」

 浅い眠りはすぐ醒める。
 コンコンと遠慮がちに扉を叩く音に意識を引き戻され、燃神はそっと起きあがった。子供たちが起きる様子はない。燃神は蓮神が蹴飛ばした上掛けを肩まで引き上げた。
 そして子供たちを踏まないようにそろそろと出入口に辿り着くと、中に外気が入らないように急いで扉を後ろ手に閉めた。吐く息から凍りそうな寒さだった。
「…遅くにすまない」
 訪問者は小さな声で詫びた。風もなく音もなく降りつもる雪の中に凍神が立っていた。
「いいや」
 燃神は眉をあげて、すっかり血の気が失せて作りものめいた白い頬を見る。
 真冬の凍神はまるで別人だ。どこか頼りないようなところが消え失せ、凍り付いた冷たい表情で誰も寄せ付けない。
 燃神は、凍神が自分の仕事を放り出すような緊急の用件かと少し身構えたが、凍神に慌てた様子がまるでないのに少しだけ首を傾げた。
 珍しいこともあるものだ、と驚きを欠伸とともにかみ殺すと燃神は扉にもたれかかって少しだけ自分の身体を燃やした。冷たい扉が瞬く間に暖まる。
 氷点下で甚平と草履、という見ているだけで凍傷になりそうな格好でも、燃神には全く支障はない。そして外見こそ分厚い外套で重装備して暖かそうに見える凍神は、周りに合わせる必要がないときの体温は、冬の外気温とそう変わらなかった。
 夏は周囲に影響を及ぼさない程度の体温に保っているが、冬は余計な力をあまり使わずに体温を下がるがままにさせておくことが多い。燃神はその逆で、温度が上がる分には構わないが、寒いところでは自分を燃やして暖めないと動けなくなる。
 凍神と燃神は常に周りに合わせて温度調節をせざるを得ないが、逆に言えば凍神と燃神は互いの前でだけは手抜きで済む。
「どうしたんだい?」
 燃神がキセルを取り出しながら言うと、凍神がたいしたことはない、と首を振った。
「カムイの人たちに雪だるまをたくさん貰ったからね、子供たちにお裾分けを」
 見ると凍神の後ろに大きな雪だるまが五つ並んでいた。
「あいつらが今日来たってよくわかったなァ」
「そりゃあね。ふふ、子供たちが喜ぶだろうなと思ったら、つい持ってきてしまった」
 雪だるまはそれぞれ丈が燃神の倍ほど、幅は腕を回しても届かないほどの大きさがあった。
「入ってくかい?」
 遠くカムイから雪だるまを運んできてくれた凍神に一杯くらい飲んでいって貰おうと誘ったが、凍神ははにかむように微笑んで首を振った。
「皆が風邪引くといけないし、やめとくよ」
 燃神も引き留めはしなかった。
「それじゃまた」
 凍神はそう言うときびすを返した。
 燃神も凍神の姿が雪の中に消えるまで黙って見送った。

 子供に占領された自分の寝床に無理矢理潜り込んで場所を確保する。
(また、明日―…)
 子供たちは雪だるまを見てどんな反応をするだろうか。

 眠りに落ちる燃神の耳の奥に冬の笛の音が響いた。

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 特記事項 変温動物です。