木の葉もすっかり落ちた林の上空で、何か大きな塊がぽーんと放り出されてそのまま地上にべしゃっと落下する。

「いい加減にしてくれない?」
 明朗な、でもって苛ついた声が響く。
 塊がうぞうぞと動いた。
 白いもこもこした塊にしか見えないそれは、恨めしげな声を上げた。
「ひ、ひどい・・・」

 声の主、風神は長い髪を優雅に靡かせて音もなく塊の前へと降り立つ。
 そして落ち葉と一体化した凍神を冷たく見下ろして口を開く。
「な〜にがひどい、よッ!」
 仁王立ちで五色の裾を翻し、腕を振り上げた。
「ぅわ、ちょ、待っ・・・!」
 凍神の塊は焦って起きあがろうとするが、風神はそれを許さない。
「今更もう、まーちーまーせ〜ん」
 凍神は悲鳴と落ち葉とともに突風で吹き上げられ・・・そのまま落下した。
「うっわーッッ!」
 ドシャッ。
 凍神は眼前に迫る地面に顔から激突した。
「うぅ〜・・・」
 落ち葉でふかふかした地面に埋もれた凍神が息も絶え絶えに顔を上げた。
 お約束で額に葉っぱが貼りついている。

「か、風さん・・・俺もう自分でやるから・・・」
 風神は腰に手を当てて、涙目の凍神をキッと睨みつけた。
「いっちゃんはねェ! まだるっこしいのよっ!」
「まだるっこし・・・って、えぇっ!わっ」
 反論も許されず、また凍神が吹き飛ばされる。
 風神が口の端に危険な笑みを浮かべた。
 俗に、やけっぱちとも言う。
「こうなりゃもう意地よ!」

「うわあぁぁん!」
 ドシャーッ!

 少し離れたところに凍神が再び無様に落下する音が聞こえた。

*****

 きっかけは桜花三神の下2人の会話だった。
 いつもよりほんの少し春が早かったことが気になって凍神は三兄弟を探したのだ。
 兄弟たちはきょとんとして、それから手を叩いて口々に喋りだした。
「風姐がねー、手伝ってくれたの」
「空からだと花がぶわーと咲いてね、楽しかった」
「空にぽーんって投げられたよ」
「いつもより早く終わったしね、いっぱい遊んだの」
「風姐が春を遠くに飛ばしてくれたから」
 楽しかったねー! ねー! と笑いあう兄弟たちが何を言っているか、正直凍神にはよく分からない。
 しかし風神のおかげで早く花を咲かせることができたということだけは何となく分かったので、風神に意を決して今年の冬を呼ぶのを手伝ってくれないかとお願いしにいったのだ。
 凍神は快く引き受けてくれた風神の前でほっと胸をなでおろした。
 カミサマだって楽をしたいこともある。

 それがこんなに後悔を呼ぶことになろうとは、万能でない彼には想像もできなくても、まあ仕方がない。

 と言っては少しだけ凍神に可哀想かもしれない。

*****

 性格の不一致、ということがある。

「だからァ、どうしてそんなにトロいわけ?」
 風神がいらいらと腕を組んだ。
「本当に・・・もう、いいから・・・」
 法螺貝から口を離した凍神は目線を落とした。

「何よォ、自分から言っといて!」
 凍神は艶めいた唇を尖らす風神を見つめて、不自然に見えないようにそっと目をそらした。
 一見して、とても男とは思えない。
 しかし、しなやかながら筋肉がしっかりついた体躯がいかに細身に見えようと、女と見違えるわけでもない。
 そのくせ、どんな女よりも煌びやかな衣装を華麗に着こなす。
 話し方は女らしいが、よく響く声は男の声にしか聞こえない。
 内面に猛々しい部分があるのも知っている。
 彼を一言で言えば女言葉と女装が好きな男、だった。
 彼には彼が理解できない。
 そして風神には凍神のそんな苦手意識を楽しんでいる節がある。

 風神は自分が口を開く度、どうしても一瞬構えてしまう凍神にちらりと流し目をくれた。
「上から法螺貝をぷおーと吹けばいいんでしょ?」
 凍神はとりあえずこくりと頷く。
「それでどうして・・・」
 風神は考え込む顔でため息をついた。
「毎回毎回ッ、足を踏み外すのかしらッ」
 凍神は返す言葉もなく、葉っぱだらけの外套で耳を隠すように肩をすくめた。

 そう、凍神には悲しいほどにバランス感覚がなかったのだ。

*****

「風よッ、風になるのよッ」
 木枯らしの踊る空に風神の長い髪が美しくなびく。
 風神の叫びを背に受けるも、凍神には目をくれる余裕はない。

「無理、も、絶対むりだからッ!」
 及び腰の凍神はすでにぐらぐらと足下から危なっかしい。
「いつも通り歩いて吹くよ! 歩くから頼む風さん、もう降ろし・・・うわッ!」
 凍神はガクンと足を踏み外して真っ逆様に落ちる。

 しかし、訪れるはずの衝撃はいつまでも来なかった。
 ぎゅっと瞑った目を恐る恐る開く。
「え、あっ、風さん!?」
 凍神は驚愕で目を見開いた。
「だーか〜らァ」
 凍神の足首を片手で軽々と掴んだ風神はにっこりと笑った。
「できるまでやるわよ?」
 凍神の顔がひきつった。
 笑顔のまま、風神が手を離す。
 下から猛烈な竜巻が巻き起こった。
 凍神が巻き上げられて小さくなる。
 はるか上空から悲鳴が聞こえた。
「うっわあああぁっ!」

*****

 結局その年の冬は記録的に遅かった。

 傷心の凍神の元へ桜花三神の下2人が訪れた。
「凍兄〜今年は雪はまあだ?」
「早くそり滑りしたーい!」
「雪だるまも作りたいね〜」
 跳ね回りながら口々に好きなことを言う子供たちに追い打ちをかけられ、ボロボロの凍神は更に深く沈み込んだ。
「あぅ〜」

 蓮神があ、と言う顔をした。
「凍兄〜、風姐から伝言〜」

 ギクリとした凍神に気づかず蓮神は笑顔で続けた。
「風は早かったみたいだから、俺に蓮で波乗りを教えてもらえ、だって?」
 なんのこと? と首をひねる蓮神に凍神はなんでもないと首を振った。
 風神は兄弟たちには凍神のみっともないところを言わないでいてくれたようだった。

 少しだけ感謝していると、蔦神が身を乗り出す。
「波乗りー? したいしたい!」
 行こう行こうと手をぐいぐい引っ張られ、凍神は口ごもる。
「いや・・・俺は・・・」
 凍神は無邪気な子供たちを振り払うすべを持たない自分を恨んだ。
 もしかしてこれが分かっていてこの子たちを寄越したのかと、ここに居ない風神をちらりと疑ったが、首を振る。

 凍神の波乗りの結果は想像通りだった、としか申し上げられない。
 そして、子供というものは素直で残酷なものである。
 だっていっちゃんだから仕方ないわよ、と後から誰かが言ったとか言わないとか、それもまた定かではない。